イビピーオではない話

この記事を書いているのは、2023年11月23日(木)。
週末~週明けになると、寒波が訪れるのを皮切りに、冬が始まりそうです。
気象庁が発表した最新の3か月予報では、北日本は、12月は平年同様に寒く、
1月~2月の気温は平年並みか高くなる見込みであるようです。
どこの家でも、冬を迎える時は雪に備えています。
この記事が公開されている頃には、横手も根雪となっている事でしょう。

私が経験する限り、過去10年のうち、
80%ほどは頻繁な除雪が必要なほどの積雪になった事から、
今年も除雪に備えるべきだと言えます。
これは、誰でも考え得る「帰納的推論」の一種と言えます。

「イビピーオ」とは?

これからする話は、言語学系YouTuberの人が「ピダハン」という本を解説した話を、
私が考察するもので、全くイビピーオではない話です。
「イビピーオ」とは、アマゾン川流域の少数部族、ピダハン族の遣うピダハン語で、
実体験を意味する言葉です。
著者のエヴェレット氏は1951年生まれで、カリフォルニア州で生まれ、
20代の時に外国伝道の学位を得て、家族と共にブラジルに移住、
訓練を経てキリスト教を布教すべく、ピダハンの集落に入った経緯があります。

間接体験の認知

我々はテレビ・メディアから得た情報で、幼少期から、
実体験と間接体験を区別なく話す事が出来ます。
私は幼少期、外国人という存在を見た事がないので、外国人という存在は、
アニメの物語のように、テレビの中だけの存在だと信じていました。
それから時を経て、外国には戦争というものがあり、
日本を取り巻く国際情勢も、決して安定している訳ではない事を知りました。
また成長し、過去にも戦争で多くの人が亡くなった事を授業で知り、
今も世界で、その悲劇が繰り返されている事に怒りを覚えています。

怒りを覚える理由は、常識・人倫、
これまでに教わった経験から矛盾している事への不快感と、
自らの生活が脅かされるのではないかという不安です。
その脅威は、数年後に来るか、数十年後に来るか、
漠然とした不安ですが、確かに存在します。

ピダハンは、ブラジル人との交易を持っており、「未接触部族」とは違い、
昔から認知されていたと思われますが、隔絶された環境に守られ、
ブラジル人と同化する事も、侵略される事もなく、今日という日を生き延びています。

ピダハンは、未来に不安を持たず、憂う事なく、
過去の経験を共有するという事もないようです。
私の感覚で言うと、明日の事を考えず、その日をただ生きていく、
究極のミニマリスト、合理主義であると言えます。

先に挙げた本「ピダハン」では、ピダハンの人々は、間接的な情報を信じず、
直接体験(イビピーオ)のみを言葉にする事が書かれています。
これが話のあらましですが、私自身が読書をイビピーオしていない為、
かなり抽象化した話になってしまいます。
(Kindle版では、2023年11月23日現在、¥3,600です。)

言葉・文字で伝えるのは困難であるという事

我々には文字という便利なものがあっても、出典が孫引き、ひ孫引きになるうちに、
話が変わったり、時系列が分からなくなったり、情報が錯綜します。
丁度、ビデオテープをダビングすると、画質が落ちるように、
今の情報を、例えば1万年後に残すのは大きな課題があると言えます。

特に数字で情報を示す場合、出典が肝心だと、
前の職場のサビ管の人に強く諫められた記憶がありますが、
情報には具体性と主体性、つまりは責任が伴うのです。

その点、関西弁では「知らんけど」を付ける事で、情報の信頼度合い、
直接体験との区別を付ける事で、後で詰められた時の為に保険を掛ける事が出来ますが。

日本語では複雑な入れ子構造
(例:「この電車に乗り遅れたら、2日連続で遅刻する事になるので、
上司に大目玉を食らうだろう」)、主語”I”,”You”などを省略する事から、
直接体験と間接体験の区別があやふやになるというエラーがあります。

エヴェレット氏が、ピダハンの人々にキリストの話をすると、
「会った事があるの?」「どういう顔をしているの?」と詰められたそうです。
そのエピソードは、ピダハンの人々が「イビピーオ」以外を信じない事を、
端的に示しています。

その話は、ソクラテスの「私は、私がそれを知らないことを知っている」=無知の知に
似ているなと私は思いました。
幾ら勉強して知識を付けようと、それは全てイビピーオではないし、
ある業種で実技訓練を受けても、現場でノウハウを積む事とは違うという話にも似ています。

「百聞は一見に如かず」

私の伯父夫婦は政治運動をしているのですが、
ボランティアでジャーナリスト活動もしており、
メディアというフィルターを通して得る情報よりも、
実際に現地に赴く事が重要だと言っていました。

伯父達の「日本は独裁に突き進んでいる」という主張は、
イビピーオではないかも知れませんが、
政治運動家と呼ばれる人々の多くは、本当にイビピーオによる学習によって、
動いているのでしょうか。
怖いのは、抽象化された情報に、人が動かされる事ではないでしょうか。
SNSの誹謗中傷も、結局は抽象化された情報に、人々が扇動されているのだと思います。

熱帯雨林と時間の概念

熱帯雨林では、時間の概念がなくなるという話も興味深いです。
温帯・亜寒帯では、季節の概念があり、秋田では日照時間が春分と夏至の中間になる、
立夏を過ぎた頃に田植えをします。

しかし、熱帯雨林では夏と冬、雨季と乾季が存在しない為、
農業をするメリットがあまりありません。
ピダハンは元々狩猟採集民族でしたが、エヴェレット氏が訪れる前に、
ピダハンの集落を訪れた言語学者から栽培を教わりました。
ピダハンは、農業をする為に、自前では作れない鍬などを貿易商人から、
物々交換で買うのですが、大人は鍬を畑に放置し、
子供は真新しい鍬を川へ投げ込むそうです。

これは、道具が今日必要でも、明日はどうなるか分からないという、
彼らの時間・未来の概念を言い表したエピソードであると言えます。

例えるなら、今日使っていた雪かきのスコップを、「明日使うか分からないから」
外に放り出すような話です。
最初に述べた、帰納的推論とは丁度真逆と言えます。

生き急ぐ日本人と、今を尊ぶピダハンの人々

これは、桜や紅葉など、四季を楽しむにしても、余裕がない日本人とは対照的だと思います。
10月14日、東成瀬村・須川高原は紅葉が見頃だったのですが、余りの渋滞に、
岩手県(一関市)側を、隘路を10km以上進んで、
ようやくUターンで戻って来た事を思い出します。

今の天気予報の精度は、30日後の天気を正確に言い当てるほどは進歩していませんが、
桜や紅葉の時期は、過去の統計などから、かなり正確に言い当てる事が出来ます。
私も、正確性に欠く曖昧な言い方にはイライラし、
結論がハッキリしていないと苦痛を感じる性格ですが、
もし近い未来の予測が正確に出来るようになったら、
それはそれで、新たな悩みを生み出すんじゃないかと思います。

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