植物図鑑(1) 強くて繊細でストイックなアカマツ

時代劇で見る、日本の原風景と言えば、ススキの草原や松林が思い浮かびます。
ススキや松(アカマツ)は、人の住処に近い自然環境で見る事が出来、
横手IC出口の法面でも目にする事が出来ます。

アカマツは意外と成長が早く、隣のニセアカシアと思われる樹木より、
一歩遅れて成長し、下草はススキが茂っています。

筆者は自由研究として植物を育てていますが、
何気ない光景でも、非常に興味深い光景です。

「植生遷移」※1の段階から見ると、ススキ草原は草原のほぼ最終段階に当たり、
ススキ草原を放置すれば、アカマツなどの先駆(パイオニア)植物が、
次第に侵入するそうです。

ただし「植生遷移」は環境によって異なり、入り込む植物の順序も、
周囲の環境に左右されます。
また、人為的に植樹(二次林化)されたものは、早くに陰樹が多くを占める事があります。

パイオニアと呼ばれる植物は、土地の撹拌が頻繁な市街地や道路付近で多く見られます。
横手ICが開通したのは、32年前の1991年ですが、
ただちにススキが繁茂した訳ではないと思われます。

グーグルアースを使うと、同じアングルから、景色の変化が見られるのですが、
2014年時点では、当然ながら、写真の木々は今より背が低いものでした。
成長速度から逆算すると、横手IC出口の木々の平均樹齢は、十数年前後と見積もれます。

意外に思ったのが、やはりアカマツの成長の早さでした。
アカマツの寿命は長くて200年※2とされていますが、
その間、人の手が加えられなければ、陰樹へとバトンタッチし、
極相(森林の最終形態)となり、消えていきます。

アカマツとマツタケ

マツタケは若いアカマツと、選択的に共生しており、
純粋な松林にのみ、生息するという特徴を持っています。

西日本では、かつてアカマツの二次林が多く存在していたそうですが、
荒廃の末に、マツ枯れが追い打ちを掛けたそうです。※3

これは現代の生活スタイルや交通の変化によるとも言え、
道路を境界として、人は山に入らなくなり、自動車でも徒歩でも、
必ず道路を使います。

江戸時代は石高に含まれていない共有地は人や家畜が往来する道路となり、
その周辺の里山も、柴刈りの為に人が入りました。
山の木々は藩の管轄となっていましたが、
持続可能な範囲で伐採する営林が行われていたようです。※4

このように、持続可能な範囲で、野山が適度に整備された環境では、
マツタケは珍しくなかったという事です。
しかし、エネルギーの主役が石炭や石油に替わると、
柴狩りに行く人もいなくなり、竃のある伝統的な家屋も姿を消していきました。

松枯れの増加と時代の変遷

一方、松枯れを引き起こす原因も多岐にわたり、主原因を特定するのも難しいと言えます。
貿易が盛んになり、外来動植物が増えた事も原因の一つです。
海外との関係というのは、単にエネルギーを輸入するだけでなく、
必然的に海外産の食材や木材などが入って来る事になり、
ひいては日本全体の自給力も奪ってしまう事になってしまうのです。

話が逸れますが、今まで日本政府は、海外とのビジネスばかり重視し、
国内の中小規模の第一次産業を軽視した為、地方の著しい衰退にも繋がったのだと思います。

筆者は経済や経営に関しては、ずぶの素人だし、
後出しなら何でも言えてしまうという事を承知で、感想を述べさせて貰います。
その上で、国内の第一次産業は、多少軋轢を生んだとしても、しっかり海外に主張を通し、
責任を持って守るべきだったと思います。

天敵の脅威に晒される、気苦労な植物

マツ林はマツタケだけでなく、様々な種類のキノコと共生しています。
しかし、中には悪い働きをするキノコもあり、
アカマツなどにとって悪い働きをするナラタケ属などの菌類に感染し、
最悪は枯らされてしまいます。

植生遷移と同様、ナラタケのような、一般的に朽ち木を分解する菌が優位になる環境では、
少なくともマツタケの生育にも厳しいのです。

一方、松林は海の近くにあるイメージがあるように、陸前高田市の碁石海岸では、
江戸時代に植樹されたアカマツやクロマツが潮風を和らげています。
高田松原の復興事業に関しても、いつかの機会にご紹介させて頂きたいと思います。

海の近くのような①塩分が多く、②風が強く、③土壌の排水性のある土地を好み、
ストイックさも感じられる、不思議な植物だと言えます。

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※2

※3

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