『花のき村と盗人たち』with『三幕構成』~盗人をやるには優しすぎた男たち~

 iTi(アイティアイ)と申します。
 僕の記事では、僕が仕入れた物語に関する知識等のお話をしていこうと思います。
 今回は物語の基礎部分『三幕構成』のお話をしていきます。

三幕構成とは?

 三幕構成とは、おおまかに『序盤』『中盤』『終盤』の三つのプロセスで脚本を構成するというものです。
 1979年に脚本家『シド・フィールド』が体系化したものや、おなじく脚本家『ブレイク・スナイダー』がこの構成をさらに発展させた通称ブレイク・スナイダー・ビート・シート(略称:BS2)が有名です。こちらはやや専門的な話になってしまうので、また今度取り上げます。

 話を戻して。
 三幕構成はシンプルさから、あらゆる脚本に見られる構成です。
 古くは古代ギリシア時代までさかのぼり(かのアリストテレスが提唱したとされています)、近代ではオペレッタにもこの構成は見られます。『こうもり』や『眠れる森の美女』は多くの人に聞き馴染みがあるのではないでしょうか?
 そして日本の童話も例外ではありません。

 さて、今回は新美南吉の童話『花のき村と盗人たち』をもとに、三幕構成をかんたんに解説していきます。
 未読の方は、ぜひ青空文庫で一読ください。

盗人たちが改心する物語

  • 【序盤】主人公である盗人五人組が村の前にやってくる
  • 【中盤】村の子どもから信用された親方はつい涙し、善良な心を取り戻す
  • 【終盤】村役人に自分の身分を打ちあけ、罪を清算しようとする

『花のき村と盗人たち』は、村にやってきた五人の盗人が改心して村を出るまでの物語です。
 序盤から順番に解説していきます。

【序盤】盗人参上

  • 四人の弟子を従えて、村にやってきた盗人の親方。弟子たちを村へ駆り出し、自分は藪の陰で待つが、盗人として日の浅い弟子たちではなかなか成果が出ません。そうしているうちに、親方のいる藪の近くで子どもたちがあそび始めます。

 三幕構成の序盤では、登場人物や舞台の説明をおこなうことが多いです。
 ここでは盗人の親方と弟子たちの役回り、弟子たちが盗人として日が浅いこと、舞台となる村がのどかであることを説明しています。
 序盤は全体の文量の25%を割くことが多いです。

【中盤】親方の困惑と回想

  • 子どもの一人が親方に牛を預けて遊びに行ってしまいました。親方は盗人として最大の好機を得たと同時に、ここまで純粋に自分を信じてくれる人間がいるのかと感動しました。心が清められた親方は、牛を返すために弟子たちを連れて子どもを探し始めますが、村人たちに聞いても知らぬ様子です。

 三幕構成の中盤では、物語の風呂敷を広げ、話の方向を転換させます。
 ここでは親方に同情の余地があることを回想を通じて説明することで風呂敷を広げています。
 そして親方が、盗む機会を自らの意志で逃すことで、物語の方向を『盗む話』から『改心する話』に転換させています。
 中盤は全体の文量の50%を割くことが多く、一番のボリュームになります。

【終盤】白状

  • しかたなく親方は弟子たちとつれて村役人のもとへ行き、事の顛末を語ります。親方は最初、盗人であることを隠していましたが、心よい村役人を騙すことに心が耐えきれなくなり、ついには自分が盗人であることを白状します。五人の盗人は改心し、元弟子たちは元親方を想いながら、それぞれ村を出ていきました。

 三幕構成の終盤は、物語の風呂敷を畳む時間です。
 ただ畳むのではなく、『風呂敷を広げる前』と『広げて畳んだ後』で変化したことを強調する時間でもあります。
 ここでは親方にもう善人を騙すだけの力がなく、同時に弟子たちの今後を思いやるだけの善良さを持っていることを説明しています。
 終盤は残りの文量25%を担うことが多いです。

おわりに

 以上が『三幕構成』のかんたんな解説となります。
 もっとも基本的といえる物語の構造で、それゆえに創造の意欲を刺激する構成だと僕は思っています。
 余談ですが、僕は三幕構成の終盤を作るのがとくに好きです。

 次回があれば、前回の記事と併せ、『三幕構成と弁証法の相性の良さ』について、かんたんに解説していきたいと思います。※次回のテーマを『自分なりに物語の図を作り、視覚化する』に変更しました。

 前回の記事『弁証法』についてはこちら
 次回の記事『自分なりに物語の図を作り、視覚化する』についてはこちら

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