YouTubeはソーシャルメディア世界第2位、知らない人はいないほど有名なSNSです。
僕もユーチューバーになりたい。
でも、そのアイコンでどうやってしゃべるのさ。
確かに、動きがとれない・・・静止画ならいける?
だいたいね、焦ってるのか困ってるのかそのアイコンじゃわからないんだよ。
YouTubeは動画サイトよ。動画を共有するために作られたサイトだからね。
でも、どんな人が作ってどうやって有名になったのか僕はまだ知らない。
ちょ、ちょっと、いきなり詩人にならないでよ。
YouTubeはディナーパーティのビデオ共有の困難から始まった、と多くのメディアは伝えています。
しかし、創設者の一人ジョード・カリムはこう語っています。
「YouTubeはディナーパーティをきっかけにされたという物語は、わかりやすい物語を必要とするマーケティング上の都合によってかなり脚色されている。」
カリムはこのパーティーに出席していないし、そのようなパーティーが開かれたこともありません。
では、真実はどこにあるのでしょう。
YouTubeが誕生した真実のストーリーをお話ししましょう。
動画共有サイト誕生のきっかけ
きっかけは2004年のスマトラ沖地震と、同年にジャネット・ジャクソンがスーパーボウルで起こした胸ポロリのハプニングでした。
ジョード・カリムという青年は、地震被害の状況を把握するため、インターネット上でその動画を探しました。
もちろん、ジャネット・ジャクソンの胸ポロリが見たいというスケベ心もありました。
しかし、当時はネット検索といっても十分な情報は少なく、スマホも普及していなかったためお目当ての動画を簡単に見つけることはできなかったのです。
「めっちゃ不便じゃん!」
この経験が、動画共有サイトのアイディアを生んだきっかけです。
スタートアップは出会い系
ジョード・カリムは、イリノイ大学の学生でしたが3年生の2000年に中退し、シリコンバレーに行きPayPalに入社しました。
Paypalの従業員だったチャド・ハリーとスティーブ・チェンに、カリムは動画共有サイトのアイディアを話します。
カリムのアイディアを最終的にYouTubeとなるものにするためには、ハリーとチェンの協力が不可欠だったからです。
チャド・ハリー
スティーブ・チェン
ジョード・カリム
「わかった、動画共有サイトを立ち上げようぜ。」
カリムによると、彼らはよく夜遅くに集まりカフェでセッションしていたと言います。
「ユーザーが発信するからYouTubeにしよう!あなたが自分で放送できるんだよという意味だ。」
Tubeとは、アメリカ英語の俗語で「テレビ」という意味です。
YouTubeはハイリターンを狙ったアグレッシブな投資を行うベンチャーキャピタルから巨額の出資を受け、スタートアップ企業として2005年に開業しました。
創業当時、YouTube本社はカリフォニア州のピザ販売店と日本食レストランの2階に置かれていました。
そして、www.youtube.comのドメインは2005年2月14日バレンタインデーに有効化されます。
バレンタインデーにサイトを立ち上げる計画は、その数日前からはじまっていました。
3人の青年たちの目論見はこうです。
「バレンタインデーになると恋人を求めるニーズが高まる。」
「そこを狙って異性の動画をアップロードできる出会い系サイトを開設すればバズる。」
この方向性を考えたのはカリムでした。
さすがスケベ心満載のカリムです。
出会い系サイトの現実
2005年当時はスマホがなく、動画よりも写真が主流の時代でした。
ほとんどの出会い系サイトの質を見ても、アップされた画像と実際に会った人では違うというのがほとんど。
そこで、動画で恋人募集している人を見られれば確実だ、というプランでした。
ところが、サイトの開設から5日経っても、だれもサイトに恋人募集の動画を投稿してこない。
「なぜ、誰も投稿しない?」
「プランニングはバッチリなのにおかしい・・・」
「これは、失敗・・・じゃないか?」
と、悪い予感が3人の頭をよぎりました。
大胆な方向転換で初投稿
「もう、いい!これは失敗だ。出会い系はやめて別の方向にしよう!」
そして、大胆な方向転換をします。
「ジャンルを問わず、どんな動画でもいいから投稿できるサイトにしよう。」
「ターゲットも決めない。だれでも投稿できるサイトにするんだ。」
マーケティング的には、ジャンルもターゲットも決めないで戦うという無謀な戦略です。
このような状況に追い込まれて、2005年4月に初めて投稿された動画がこちらです。
ジョード・カリムが動物園の象の前にいる様子を写した動画。タイトルは「おれ、動物園にて」。
カリムがカメラ目線で、象の鼻が長いと言っているだけの20秒ほどの動画です。
実は、この時点でカリムは学業に専念したかったため、YouTubeの従業員ではなく非公式アドバイザーという立場になっています。
彼は、給与や福利厚生、さらには役職名さえ受け取らず、スタンフォード大学のコンピューターサイエンス修士課程に入学します。
Youtubeで食べていこうという気はこの時には既になくなって、大学に戻ろうと決めていたのです。
「夢は諦めない。でも、これが当たらなかったら学業に専念しよう。」
背水の陣で撮った動画が、後に大成功のきっかけになることを知らずに、カリムはカメラの前に立ったのでした。
失敗からの大逆転劇
無謀な方向転換、カリムの動物園動画の後、次々に動画がアップロードされ始めました。
「気軽に投稿していいんだ」
人々はデジタルカメラの動画機能を使って、自由に投稿し始めました。
中には、たった4秒しかない動画だって投稿されました。
First time jump on wakeboard ウエークボード
今でいうショート動画だ。最先端行ってる。
2005年10月、動画サイトの歴史上記録的なCMが登場します。
それは、YouTubeで初めて再生回数が100万回に達した動画で、ロナウジーニョが出演したナイキの広告動画でした。
まだ日本版がなかったにもかかわらず、英語版で日本語入力し投稿した動画もありました。
Googleによる買収
YouTubeには課題がありました。
サーバ回線コストだけで月間100万ドルに達すると言われていたため、どう収益を上げていくかが問われたのです。
チャド・ハリーは言います。
「どこかに支援を求めないとYouTubeは生き残れない。」
結論から話すと、YouTubeは、2006年10月Googleに16億ドルで買収されました。(約1950億円)
実を言うと、同時期にGoogleのライバル企業YahooもYouTubeと取引しようとしていた裏話があります。
このとき、もしYahooに買収されていたら、ネットの勢力図は変わっていたかもしれませんね。
Googleとの交渉についてカリムは、チャド・ハリーとスティーブ・チェンから知らされました。
書類に署名するために法律事務所に呼び出され、ハリーとチェンに祝福の言葉を述べたそうです。
後の取材で記者に「買収価格についてどう思うか」と尋ねられると、カリムは「イイ感じだと思った。」と答えています。
ちょっと、そっけないね。
アイディアと初投稿はカリムだったのに、YouTubeは別物に成長していった感があったのかもね。
せずねっす。(切ないです)
ハーレーは、「YouTubeはGoogleに買収されたが、今後もYouTubeとしたブランドで独立したサービスを提供し続ける」と述べました。
その後の、YouTubeの進化は、あなたのご存じのとおりです。
YouTubeの日本語版始まる
日本では2007年6月19日、「YouTube」の日本語版サービスが始まりました。
当時の朝日新聞は、「動画投稿サイト、日本語版始める/米ユーチューブ」と見出しを打って記事にしています。
インターネット動画投稿サイトの世界最大手、米ユーチューブは19日、日本語版サービスを開始した。同社を傘下に収める米グーグルが同日発表した。ユーチューブは英語版だけだったが、トップページなどを日本語に対応させた。利用者が多い日本での使い勝手を良くし、利用者の一層の増加と広告収入の拡大を目指す。
2007年6月20日付朝日新聞朝刊(東京本社版)
YouTube が買収された後
YouTubeがGoogleに買収された後、創設者の3人、すなわちチャド・ハーリ―、スティーブ・チェン、ジョード・カリムは、それぞれ違う道を歩んでいます。
・.チャド・ハーリー(Chad Hurley)
YouTube買収後も一時期はCEOとして在籍しましたが、2010年にYouTubeのCEOを退任しました。その後、彼は投資家として新しいテクノロジーを応援しています。
・スティーブ・チェン(Steve Chen)
Googleに残りましたが、2008年にYouTubeを退社。2023年にはSHARPの社外取締役に就任しています。
・ジョード・カリム(Jawed Karim)
YouTube設立後から、学業に専念するためスタンフォード大学コンピューターサイエンス課程に入学。2008年、大学生の企業を援助することを目的としたベンチャー基金「Youniversity Ventures」を設立しています。
3人はそれぞれ違う道を選びましたが、共通点があります。
それは、引き続きテクノロジーの開発とそれで起業する若者をを応援し続けていることです。
最後に
YouTube誕生は今から18年前のお話です。
2005年、最初にアップロードした動物園の動画に映る創業者カリムの目は、その後の成功を確信しているようには見えません。
むしろ、それまでの失敗を引きずっている目です。
しかし、彼らはそこで諦めなかった。
もしそこで諦めたら終わりで、今日のYouTubeは存在しなかったでしょう。
彼らには、根拠のない自信と希望がありました。
ひたむきに行動し続ける人のあの動画は、何度見ても心を打ちます。