
こんにちは!『にっちDEまにあ』です。今回もよろしくお願いします。
今は電話と言えばスマートフォンです。
当たり前ですが私が子供のころ、携帯電話は夢の話でした。
今回は電話のお話です。
(1960年代~1980年代前期)一家に一台電話、外出先ではどうする。

固定電話のお話を少しします。今は電話番号を入れると電話は普通につながります。
当たり前のお話ですが、その昔、電話を市外県外にかける際一旦電話局の交換手につないでから電話を各々へつないでもらうということが常識でした。
イメージすると会社の代表電話にかけて『営業部に繋いでもらいますか?』と言って繋いでもらうイメージです。

昔、固定電話ではそれが普通でした。全国的にみると1965年から東京や各県庁所在地で市外局番自動化が開始され、すべて完了したのが1974年です。実に9年もの年月がかかっています。
この頃出先で、もし連絡したい場合はどうするのか。真っ先に思いつくのが公衆電話でした。

電話ボックスの公衆電話、また商店などの店先で見られた赤やピンク電話を思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。駅の伝言板にチョークで黒板に行き先を記入するなんて方もいらっしゃたと思います。

(1980年中期~1990年中期)ポケベルが鳴らなくて、ポケットベル大ブーム。
さて、次にポケットベルの歴史をお話します。
実は日本ではすでに1968年、サービスが開始されていました。
急速に普及する布石となったのが国営の電話会社、電電公社の民営化です。
1985年4月、日本電信電話株式会社(略称NTT)となります。
その後、1993年7月~9月まで放送されたドラマ『ポケベルが鳴らなくて』が主題歌とともに大ヒット、当時話題となりました。
また、それまで端末は基本レンタル制でしたが、1995年からポケットベル端末お買い上げ制度が開始されます。
同時期、ポケットベルのテレビCMでは当時高校生の広末涼子を起用。
他社の東北テレメッセージとも激しい争いをしており、そのため端末はほぼバラマキ価格(2000円~10000円ほど)プラス月額基本料(2000円~3000円ほど)で使用できたため、ポケットベル『センティー』が大ヒット。サラリーマンが主流だった市場を瞬く間に中・高校生が席巻していきました。

ポケットベルの普及は1996年にピークに達し、全体の契約者数は1078万人になります。

(1990年中期~2000年初頭)ポケベルからPHSへ。
1995年7月、PHSと呼ばれる簡易携帯電話がサービスを開始します。
その後、1997年にNTTから1通10円で一定の文字数のメッセージを送れるメッセージサービスを開始。
通話の枠を超えた機能により普及を増していきます。通常の携帯電話に比べ電話料金の安さ(公衆電話と同じ通話料)からこちらも徐々にヒットしていきました。
PHSサービス開始からわずか2年後、1997年にPHS契約数はピークである700万件超に到達しました。と同時にポケットベルはPHSや携帯電話に顧客が流れ、急激に減少します。

当時、PHSはポケットベルから移行した、特に中・高校生に人気がありました。
電話にカラフルなシールを貼ったり(通称デコル)、ストラップ加工やプリントシール機(通称プリクラ)の写真を電池パックの裏に貼るなど話題となりました。
(2000年初頭)PHSから携帯電話へ。
それまでPHSと比べて通信料、端末代が割高であった携帯電話が安価な機種や通信プランを次々と発表します。
また、PHSの電波は比較的都市部しか繋がらないデメリットもネックとなり契約件数が減少、2000年初頭から急速に販売数を伸ばしていく携帯電話へと時代は変化していきます。
次回、後編は携帯電話についてのお話です。
今回はこの辺で、またお目に留めていただきましたら幸いです。
