番外『シンデレラ』for『じっさいに曲線をえがいてみたい人』~幼少の頃のことでも割と覚えてた~

 iTi(アイティアイ)と申します。
 僕の記事では、僕が仕入れた物語に関する知識等を、僕の主観でお話していこうと思います。
 今回は映画『シンデレラ(1950年)』を視聴した幼年期の僕の感情を曲線で再現していきます。


 今回は番外編として、読者の皆様が自分で感情の曲線をえがいてみる一助になればいいとおもい書いていきます。

映画『シンデレラ』の視聴者の感情を曲線で表す

 前記事で使用した『感情の曲線』で、映画『シンデレラ』を視聴したiTi少年の感情をあらわしてみます。
 まず、シンデレラのストーリー上の感情の波をこのように仮定してみます。

 これに青い点線(iTiの感情)をくわえ、その感情のうごきを第一幕から解説していきましょう。

第一幕

 視聴時はまだ幼い時分でしたので、シンデレラの前知識がほとんどありませんでした。ディズニー映画の傾向など知りもしなかったので、現代のように『約束されたハッピーエンドの象徴』のような認識はありません。

 それゆえに義母と義姉妹たちの行いに、過剰なまでつよい不快感をおぼえました。それはストーリー自体への期待感にも影響していたとおもいます。もうすこし長く義母のいじめパートがつづいていれば、子供ながらに視聴を拒否していたかもしれません。
 実際にはテンポよく物語はすすみ、魔法使いの妖精が登場した時点である種のカタルシスを感じたのをおぼえています。
 いま思えば子ども心をまんまと手玉に取った、とても巧い構成です。

第二幕前半

 シンデレラが舞踏会に参加した以後、シンデレラが王子に気づかないことのもどかしさにわずかな苛立ちをおぼえるほどには作品への期待感をつよめています。
 第二幕の分かれ目、シンデレラが逃げ出すシーンで「そのまま正体明かしてもいいのに」とじゃっかんの不満をおぼえつつも期待をぐんぐん伸ばしていきます

第二幕後半

 王子が屋敷にやってきたところで期待感が最高潮をむかえますが、直後の展開の連続でどんぞこに突き落とされます。このままでは王子に会うこともできずにバッドエンドで終わるのではないかと視聴時のストレスがマックスになりました。

第三幕

 子ども心とは単純なもので、シンデレラの友達が助けにやってきてくれたところでようやく『これはシンデレラが救われる物語なんだ』と理解し、不安感を取り去って期待感をたかめたのをおぼえています。
 そこからはワクワクしっぱなしでした。
 義母のせいで王子が持ってきたガラスの靴が割れたときはヒヤリとしましたが、それももはや、その後のシーンのスパイスでしかありませんでした。

おわりに

 今回は子供の頃の自分をモデルに『シンデレラ(1950年)』を視聴した感情の曲線をえがきました。
 今回の番外編、読者にとって感情の曲線をえがく一例となれば幸いとおもいます。

 前回の『感情の曲線』についてはこちらから
 これまでの記事の一覧はこちらから

あとがたり:欧米の王道『シンデレラの曲線』についてのおはなし

 かつて、あらゆる物語に感情のパターンを見出そうとした人たちがいました。
 今回はふたり紹介します。
 一人目がカート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)。
 彼の『物語のパターン化』に関する論文は、当時は評価されず却下(リジェクト)されました。
 その論文の中には、かの有名な童話をモデルにしたパターン『Cinderella(シンデレラ)』の表記がありました。

 そして二人目。
 カート・ヴォネガットの影響を多分に受け、同様の研究を始めた者がいました。
 名前はアンドリュー・レーガン(Andrew J. Reagan)。
 彼はバーモント大学で研究チームを組み、2016年に研究データを発表。物語に「六種類の共通する感情の曲線」があることを発見しました。

 六種類のうち、三種類目には、カート・ヴォネガットがモデルにした『Cinderella(シンデレラ)』の表記があります。

 カート・ヴォネガットのバトンは世代を越え、アンドリュー・レーガンと研究チームに受け継がれました。今日ではその研究データは海を越え、日本でも創作界隈では深く浸透しています。

 以上、感情の曲線の元ネタに関する小話でした。

タイトルとURLをコピーしました