ああ懐かし、秋田のテレビ事情

こんにちは、『にっちDEまにあ』です。今回もよろしくお願いします。

『“知るは楽しみなり”と申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。私は当ゼミナールの主任教授でございます。では本日の学生さんをご紹介いたします』という鈴木健二アナの名調子とともに始まったNHKテレビのクイズ面白ゼミナール(日曜19時20分~※時間曜日はいづれも放送当時)。
ちょうど私が小学生低学年のころ始まりました。

娯楽といえばテレビに勝るものはありませんでした。

その時代、秋田のテレビ事情興味ありませんか?

ということで、今回は県内民間放送(略称民放)が2局しかない『1980年代から1991年10月秋田朝日放送が開局』する頃までのお話です。

裏にかえろ!ガチャガチャテレビ、受信状態。

まずは基本的なお話をします。

1980年代、関東圏にはアナログ放送当時

という5局が存在し、共に全国の地方局を結んでの系列(ネットワーク)というものを構築しています。

同時期の1980年代当時、秋田のチャンネルは

のみで民放は2局しかありませんでした。

もちろんテレビはアナログテレビですので、画面はゴーストと言って車が通るたびに人間の顔が
2重、3重に映ったり、はたまた白黒になったりなんてこともありました。

そんなテレビはつまみを回すとチャンネルが変わる通称『ガチャガチャテレビ』でした。
当時、リモコンテレビ自体はありましたが、庶民には買えない高値の花でした。

テレビを見ていると仕事から帰ってきた父親が言います。

『こんなくだらないテレビ見てないで裏に回せ!』

裏とは物理的にチャンネル数が少ないので、NHKか他民放のことです。ただほぼNHKの事を私の家では呼んでました。

このころの番組編成は系列入り乱れてカオス状態!

さて、1980年代当時秋田県の民放にはTBS系列、テレビ朝日系列、テレビ東京系列がありません。
どのようにしてそれらの番組を見たのか。それはABSテレビ、AKTの編成次第でした。

このころ月~金曜日朝、1980年代各局の番組一例です。

という編成でした。
ということは、、、。朝のニュース、関東キー局すべてコンプリート出来たということです!
いやはや、まさにカオス状態!!

土日夜の番組も、ABSテレビは土曜21時にテレビ朝日系の土曜ワイド劇場、日曜21時半にはTBS系のナショナル劇場などを必ず放送しなければいけないため、野球中継がのびても途中で中継を打ち切る事はざらにあり、いつでも『一部の地域の皆さん』でした、、、。

ただ、利点もあり今のようにかっちり関東の系列順守なタイムテーブルではなく、有名どころの番組はVTR遅れ放送でしたが見ることができました。(ぴったしカンカン、欽ちゃんの週刊欽曜日、料理天国、ミームいろいろ夢の旅、YKKアワークイズ100人に聞きました~スポンサー変更により途中打ち切りなど、いづれもTBS制作)

また、1981年から1987年までの約6年間、AKTはフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局となり、『水曜スペシャル川口浩探検隊シリーズ(水曜19時30分~)』や『クイズタイムショック!(1984年4月~、木曜19時~)』などをテレビ朝日と同じオンタイムで見ることができました。

しかしながら、そのためにフジテレビ系列の番組が追いやられたため、特に、夕方へアニメ番組は押し出された記憶があります。

秋田第三局開局!

そんなカオス状態に転機が訪れます。

平成新局と呼ばれる新しい地方局が各県で続々と開局。

県知事から時期尚早などの反発もありましたが、秋田県でもその機運が高まり、秋田第三テレビ局推進懇談会が開かれます。

そこで新局のキー局はテレビ朝日と決定され、1991年6月秋田朝日放送(AAB)へ予備免許が交付、9月25日いよいよサービス放送が開始となりました。

わが家ではたまたま試験電波が届く場所に住んでおりチャンネルを合わせて当日放送を見ました。サービス放送のためABSテレビのモーニングショー(番組がテレビ朝日系だったため)が終わってからの9時半スタート(9月25日~9月30日まで)でした。

10時になり柳生博さん司会、100万円分の商品をかけての視聴者参加型クイズ番組『100万円クイズハンター』(月曜~金曜)がスタート。『ハンターチャンス!』の掛け声とともに『ゴールデンハンマー』で互いの商品の奪い合いのバトル!皆、柳生さんの物まねをしていました。

18時半になり、秋田ローカルニュース(AABステーションEYE、月曜~金曜)の時間になりました。

他局(県内NHKを含む民放)ではまだ紙に手書きや写植と呼ばれる紙テロップが使われている中、タイトル文字からCGで映し出されました。また、天気予報は今ではあたりまえですが全69市町村(当時)の予報がこちらも鮮やかなCGで映し出され、ニュース内ジングル(音楽)もシンセサイザーバリバリの音色でした。

21時、ポーンという時報音とともにニュースステーション(月曜~金曜)が始まりました。

都会のオフィスをイメージしたセット、そしてキャスター久米宏さん、『この話題は小宮からお送りします』なんとアナウンサーは呼び捨て!で話されていて、たちまち私の高校でブームになりました。

そして忘れてはいけない日曜洋画劇場(日曜21時~)、淀川長治さん映画解説の名台詞『はい、またお会いしましたね、さよなら、さよなら、さよなら!』いやいや痺れました。

都会の風を新局開局と同時に感じました。ちなみにAABのコールサインは『JOXX-TV』(現JOXX-DTV)近未来的でかっこいいですよね。

新局による在県局への影響

さて、その後のABSテレビやAKTはどうなったか。

まずはAKTが1987年4月でテレビ朝日系列を離脱し、フジテレビ単独の系列局となります。当時フジテレビの視聴率が高かったことやテレビ朝日系列が新たに開局されることを見越した判断だったと思います。

ABSテレビはAAB開局と同時に日本テレビ系列に一本化。それまでの月~金曜朝の番組を一斉に終わらせ、6時からはジパング朝6、7時からはズームイン!!朝、8時半からはルックルックこんにちはの同時ネットへと舵を切りました。

その関係もありABSテレビで残ったTBS系列番組はSONY提供THE世界遺産(土曜18時半~)、日立世界ふしぎ発見!(土曜正午)、東芝日曜劇場(日曜16時~)とスポンサーがらみで残った3番組のみとなり、
まずはスポンサーが系列外放送をやめたことからTHE世界遺産、同様の理由で日立世界ふしぎ発見!
の2番組が打ち切り終了(日立世界ふしぎ発見!はその後TBSでも今年3月レギュラー放送終了)、

現在は日曜劇場(日曜不定期午後~、東芝はスポンサーを降板※現在の放送状況)のみが放送されています。

デジタル放送、現在の秋田テレビ事情は

となっています。

最後に。

いかがでしたでしょうか?
今でこそテレビ放送がオンタイムで見られなくても、インターネットTVerでTBSやテレビ東京の番組も放送後一週間なら見ることができるため、圧倒的にテレビ放送自体、見る機会が少なくなりました。

従って今後秋田でTBS系列ができる可能性は、総務省に『テレビ放送波は県域放送に限る』という法律がある限り厳しそうです。

しかし、他県でほぼほぼ民放4局があるのに、秋田県では3局しか情報選択するしかないという点で劣っているのは事実です。まずは他県と同様のスタートラインにたつことが重要なのではないかと、今でも私は思います。

ではこの辺で、またお目に留めていただきましたら幸いです。

にっちDEまにあ

にっちDEまにあ

好きな人はこの上なく、 でない人はそれなりに、 お空でお会いしましょう。

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